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「1000本ノック」は時代錯誤か?

コピーライターの糸井重里さんが中心になって運営している、
「ほぼ日刊イトイ新聞」という人気サイトをご存知ですか。
略して「ほぼ日」。
その「ほぼ日」のトップで、糸井さんは、
毎日欠かさず、「今日のダーリン」という、短いエッセイを書いています。

少し前、「今日のダーリン」を見たら、
次のような内容のエッセイがアップされていました。

コピーライターの世界には、
「キャッチフレーズを100本書け」
というような練習方法があるけれども、
こういう方法は、よくない。

びっくりしました。
そして、思わずもう一度読み返してしまった。

うーん。やはりはっきり、「よくない」と断言されてしまっている…。

コピーライターの端くれとして、
素通りすることができなくて、ちょっと考え込んでしまったのです。
なぜなら、私がまだコピーライターのタマゴだった頃、
キャッチフレーズの練習といえば、
「1000本ノック形式」が、スタンダードだったから。
そして、この練習方法を、私は、今でも有効なんじゃないか、と思っているから。

ちなみに、広告の世界でいう「キャッチフレーズ」とは、
その広告の中でいちばん伝えたいメッセージを、
ターゲットに的確かつ印象的に伝える、短い宣伝文です。
キャッチコピーともいいます。
まだマス広告が元気でキラキラ輝いていた頃は、コピーライターの仕事といえば、
キャッチフレーズを考えること、と一般に理解されておりました。
(そんな時代もあったよなあ…)

さて、糸井重里さんは「1000本ノック形式」を、
なぜ「よくない」と考えているのか、もう少し詳しく説明しますね。
そのエッセイは、こんな文章から始まりました。

“コピーライターの世界には、
昔から「キャッチフレーズを100本書け」
というような練習方法があるらしいのです。
あるらしいのですと言うのは、
じぶんにとって、あくまでも他人ごとだからです。
ぼくも、そうしないといけないのかなあと
若いころには、思ったこともありました。
そしてはじめてみて、すぐにやめました。”

糸井さんは、なぜすぐに
「キャッチフレーズを100本書け」式の練習法を
やめてしまったのか。
つまりなぜ、この練習方法はよくない、と判断したのか。

“キャッチフレーズを100本も書くというのは、
順列組み合わせみたいなものを機械的に記して、
数を揃えるということになりがちです。
これ、ある意味では頭を使わないということです。”

頭を使わない機械作業では、
新しい発想や、他にはないアイデアなんて生まれない。
だからこの方法はよくない、
というふうに、このあと糸井さんの文章は続いてゆきます。

うーん。
確かに、頭を使わない機械作業では、
競合商品に差をつける斬新なキャッチフレーズも、
新しい発想や他にはないアイデアも生まれない、ということには同意です。
でも「キャッチフレーズを100本書け」という方法が、
頭を使わない機械作業に直結するでしょうか?
必ずしもそうは言えないと、私は思うのです。

キャッチフレーズを100本書け、1000本書け、
という試練を課せられるのは、たいてい、
コピーライターになったばかりの「新人」の頃。
コピーについて右も左も分からない、タマゴくんやタマゴさんに、
“順列組み合わせみたいなものを機械的に記して、数を揃える”
なんていう、そんな要領のよい作業が、はたして可能でしょうか?
「要領よく」って、ある程度経験と余裕がないと、難しいんじゃないでしょうか?

私も若い頃、「コピーの1000本ノック」的な練習を、
当時勤めていた会社の社長(兼コピーライター)に課せられたことがあります。
かなりキツかったことと、順列組み合わせを実行する余裕なんて
無かったことは、はっきり覚えています。
それに、もし、順列組み合わせで機械的にコピーが書けたとしても、
それを提出したら、恐らく当時の社長から、
「やり直し」を命じられたと思います。

私が「1000本ノック」を、
練習方法として有効なんじゃないかと考える理由は、
新人の頃にキャッチフレーズをたくさん書く(=書かされる)のは、
“順列組み合わせみたいなものを機械的に記して、数を揃える”
のとはまったく正反対の目的のためだった、と思うからです。

では、その目的とは?
それは、これまで使ったことのない頭の回路を、
無理矢理こじ開けたり広げたりすることではないのだろうか、と。

私の若い頃の話をもうすこし続けると、
キャッチフレーズを100本、あるいはそれ以上書け、
なんて言われてしぶしぶ書いてると、
書いてるうちに、今までの「考えてる」では追い付かなくなってきます。
書き続けてるうちに頭の中でモーターの回転がスピードダウンして来て、
やがて完全に停止してしまう…そんな感覚でしょうか。
とはいえ締め切りも課せられており、期限内に絶対書き上げないといけない。
「思考が止まってる=考えていない」のに、書かないといけない。
これは、結構ツラいですよー。
でね、追いつめられ、パニック状態になりながら、
なんとか数をそろえるわけです。
書いたキャッチフレーズの中には、「自分で考えた」どころか
「自分で書いた」記憶すらないような
苦し紛れといっていいフレーズなんかも混じっていたりするわけです。

で、おそるおそる社長に提出して、
セレクトしてもらうわけですが…。

「これええやん」と言われて選んでもらえたのが、
自分なりに一生懸命「考えた」フレーズではなくて、
例の、「自分で考えた」どころか「自分で書いた」記憶すらない、
苦し紛れのキャッチフレーズ、だったりするわけです。
で、ちょっと冷静になって、そのフレーズをしげしげと見ると…。
確かに、他のより、いいわけです。しかも飛び抜けて。

「え、これ、俺が書いたの?」
あのときの、狐につままれたみたいな不思議な気持ち…。

そういうことが、ビギナーの頃、一度だけでなく何度かありました。
この選ばれたコピーというのは、
考えずに、機械的に書いたものというべきでしょうか?
(だって「考えた」という自覚はないわけですから)。

つまりね、こういうことかなーと思うんです。
新人の頃の「考えてる」って、「考えてる」のエリアがすごく狭い。
広げるためには、多少無理をさせることが必要で、
そのための訓練が、「1000本ノック」なんじゃないんでしょうか。
とても狭い、今の自分の「考えてる」という領地を抜けると、
そこには、もっともっと広い原野が広がっている。
だけど今のままでは、その原野には行けないし、見えさえしない。
そこで、50本、100本、200本、300本とキャッチフレーズを書かせ、
その場所に、無理矢理追い立てて行く、ということなんじゃないか、と。

無我夢中で書いてるうちに、気が付いたら今まで来たことのない場所に立っている。
その場所では、今までより視野が広がり、今までと違う考え方ができる。
ちょっと無理して来た場所だから、まだ自分の手で耕してはいないから、
「考えてる」という自覚にまでは至らないけれど。
でも進むべき「場所」はなんとなく見えた、という、
そういう経験をさせるために、「1000本ノック」はあるんじゃないか、
というふうに今、思ってるんですけど、
違いますか?元・社長?(もう一度会う機会があったら、ぜひ聴いてみたい)

糸井さんは、

“キャッチフレーズを100本書く時間があるなら、
なにも書かないで、とにかく「それ」について、
いつまでも考えることをやめない。
そして、できるなら、その考えを順番に書き留めておく。
そっちのほうが、ずっといい練習になると思います。”

ということも書いています。
ぜんぜん異論はないんですけど、ただ、それは、新人の頃には、
やっぱり方法として、難易度が高いんじゃないかなーという気が…。
ある程度キャリアを積んだら、「考える」ことことが先行してないとマズいけど、
ビギナーの頃は、「はじめに言葉ありき」のほうがいいんではないかなー、
というのが自分の経験を踏まえての実感(ということは主観でしかないのだけど)です。

しかし!
今「はっ」と正気に返ったのですが、
延々と書き綴ったこの理屈、例えば秋山晶さんや中畑貴志さんといった
大御所コピーライターが語るならともかく、
私ごとき格下のライターが力説しても、
「フン」って鼻で笑われるのがオチですよね…。
いったい私って何サマのつもり!?
なんか急に恥ずかしくなってきた…。
穴があったら入りたい…。

<本日の注目>

ブログの筆者が「いま、これがスゴイ!」と感じるモノを勝手にセレクトして紹介します。

「Page by Page」 高橋幸宏
元YMOの高橋幸宏氏の最新作は、「ああ、癒されたい…」そんな時にぴったりのストレス解消系アルバム。電子音と生楽器を緻密にコラージュした、いわゆる「エレクトロニカ」路線の音ですが、決してマニアックではありません。POPなメロディーの曲が多く、ちょっと枯れた氏のボーカルと相まって、疲れた心にじんわり染みわたります。聴き終わった頃にはイライラすっきり!お肌もツルツルに(嘘)!心のデトックスに一枚いかがですか?ちなみに冒頭で元YMOと書きましたが、そのYMO、近々本格的に再結成するとかしないとか。ちょっと楽しみ。
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